喜満満猫プロフィール
齋藤 美和 喜満満猫@癒やし文字己書アートデザイナー
- 一般社団法人日本己書道場第22期認定道場師範
- 『喜満満猫己書道場』を主宰
- 開運ワードアドバイザー
- 株式会社喜満満猫 代表取締役社長
- 教育における親と子へのメンタルアシスタンスを得意とする
交通事故にあったことをきっかけに、
国指定難病『後縦靱帯骨化症』であることがわかり
首から下の力がほとんど入らないなか、
魂のこもった己書を描き続け師範となった。
背骨を観音開きに割る大手術を乗り越え、
首にファスナーを付けたくまモン的な癒しキャラとして親しまれる。
最近は『銭天堂』のリアル紅子さんと言われることが多い。
喜満満猫ってどんなひと?
喜満満猫の誕生
1969年9月21日生まれ
生まれも育ちも三重県北部
緑あふれる田園地帯ですくすくと横にも縦にも大きく育ちました。
なぜか存在感
目立つつもりもないのに、なぜか幼少の頃から頼られることが多く、いじめっ子に物申して女の子を守ったり、宿題をみんなに見せたり教えたり、頼まれて生徒会長になったりと、大変だけどうれしく楽しく過ごします。
14歳の家庭教師誕生
そんなたくましい中学1年生の頃、平穏な人生を変える出来事が起こりました。
父親が運転する自動車に信号無視の暴走車が突っ込み、一年以上も仕事ができないほどの大怪我を負いました。
保険金も十分に払われず、生活に困った家族のために、中学3年生、14歳のとき、自らも受験生でありながら、家庭教師のアルバイトを始めました。
フィギュアスケートとの出会い
奨学金をいただきながら、高校、大学に進学し、高校教員免許、中学教員免許を取得。
大学在学中に始めたフィギュアスケートは、わずか2年で国体に出場。三重県代表で、監督兼選手として5年連続出場しました。
司法書士→弁護士を目指す
奨学金を貯めてイギリスに短期留学。
大学卒業後は司法書士を目指すべく事務所に勤めながらの受験勉強は続きます。
司法書士から司法試験に目的を変更し、勉強に専念していたころ、夫と知り合い結婚します。
2度の命がけの出産
ほどなく第1子が授かりますが、出産は命懸け。
何度も入院して、妊娠中毒症と闘いながら、なんと70時間の分娩に耐え無事に生まれました。
第2子に至っては入退院を繰り返し、安静を保ってはいたものの、連日最高血圧が200を超え、嘔吐を連続。
このままでは母子ともに死亡する危険があり、今日か明日かの決断に迫られ、8ヶ月で帝王切開で出産。
赤ちゃんだけ救急車でNICUのある大きな病院に搬送され、必死の手当てを受け命をとりとめました。
出産後一時は1400gになって、片手に乗るほどの小さな赤ちゃんでした。
肺も心臓も、まだきちんとできていませんでした。
育ってほしい…必死の育児
必死の育児は、家族全員で力を合わせないとできないことでした。
1歳半でお兄ちゃんになった長男を、泣く泣く引き剥がし、祖父母にみてもらっていました。
昼夜を問わず吐き続ける次男を育てるには、ほとんど眠らずに少しずつミルクを与え続けなくてはなりませんでした。
30分以上かけてやっと飲んだ!と喜んでも、嘔吐のシャワーをかぶり、わたしもシャワーを浴びる日々。
入院、手術、投薬…1年は必死であっという間で、ようやく健常の子どもに成長が追いついたのは、幼稚園に入園するころです。
子どもの笑顔とパンとケーキ
それでも幸せで、自分が焼く手作りパンをはむはむとほおばる子どもたちが可愛くて、がんばって習っているうちに、手作りパンの講師免許を取得します。
自分が焼く手作りケーキをほおばる息子たちのためにケーキ講師の免許も取得します。
同じくパスタ講師の免許も取得し、ラーメンや、パスタ、そばなど手打ちで家族に食べてもらいました。
みんなの喜ぶ笑顔が大好きで、こころから愛情があふれる毎日を送ります。
カウンセリングのボランティア
14歳のころから、頼まれて家庭教師として勉強を教えてきた流れは、主婦としての範囲で、続いていきました。
悩んだ知り合いからしか頼まれないため、勉強だけでなくメンタルまでみてくれると評判に。
残念ながらお断りしなくてはならないことも多く、相談だけでも、とボランティアで多くの方のカウンセリングをお受けしてきました。
暗い顔をした生徒さんと親さんが、満面の笑顔で帰られる。
こころからうれしく、胸にじんわりとあったかい気持ちがひろがる。
それが生き甲斐のひとつとなりました。
運命の交通事故
運命が大きく動いたのは2015年。
町主催の小学生を集めたフィギュアスケート教室に、講師として参加した帰りの交通事故。
全身が雷に打たれたようになり、力が入らない、動けない状態で救急搬送されました。
診察室で衝撃的な事実を告げられます。
『国指定の立派な難病、後縦靱帯骨化症ですね。』
なんの症状もなかった日常が、交通事故という偶然によって一瞬で不自由に変わりました。
首から下すべてに、力が少ししか入らなくなってしまいました。
己書…虚しいリハビリからの救い
リハビリを続けるもまったく良くならず、どんどん手にも足にも力が入らなくなっていく。
心配した親友は、気晴らしにわたしを己書の体験幸座に誘いました。
親友とお出かけすることの方が楽しみで、正直なところ、己書にあまり期待していたわけではありませんでした。
己書の師範への道
ですが己書との出会いは、わたしに大きな癒やしと、生きる意味を与えてくれたのです。
動かない手で一生懸命描いたわたしの作品は、見るひと見るひと、涙を流してくれました。
必死で描き続け、手術後間もない満身創痍の状態で師範試験に臨み、無事に合格することができました。
喜満満猫の描く己書
手術をして完全なる麻痺を回避したとはいえ、力が回復するわけではないので、描くことに長い時間取り組んだり、数をこなすことはできません。
ですから、ひとつひとつの作品にこころと魂の叫びを込めて、丁寧に描き上げます。
『しあわせとは、じぶんのこころのなかにある』
多くのひとに知ってもらいたい
今のわたしはしあわせなのだと
そして今のあなたもしあわせなのだと
あなたとご縁がつながれば、ほんとうにしあわせです。
喜満満猫の己書が、多くのひとに癒やしと安心を届けることができますように。